「3人、産みました。」

3人目は超高齢出産、44歳で産みました。

高齢出産~トラブル続きの長男妊娠編~

長男を妊娠していたとき、”わたし”は妊娠5ヶ月から安静生活を送らなくては

いけなくなりました。

 

そう、流産の可能性があったためです。

 

そして、実はその前からトラブル続きだった、長男の妊娠生活。

 

今回は、その時の経験談を書いていきたいと思います。

 

妊娠兆候・検査薬で陽性反応が出たのに・・・

入籍してから約7ヶ月後、予定日になっても生理が来なかったので

1週間待って、妊娠検査薬を使いました。

 

すぐに陽性サインを確認!

待ちに待った妊娠でした。

 

「明日、病院に行ってくるね^^」

主人と夕飯を食べながら、妊娠報告したことを覚えています。

 

翌朝、早速産婦人科を受信しました。

 

「検査薬で陽性が出たなら、間違いないでしょう。」

先生にそう言われながら、内診を受けることになりました。

 

 

「・・・まだ、赤ちゃんの袋を確認することができませんね」

先生から聞いたのは、思い掛けない言葉でした。

赤ちゃんの袋・胎嚢が確認できないというのです。

 

「まぁ、若干前後することもありますから、また1週間後に診てみましょう。」

そう言われて帰宅することになりましたが、

実はその後、不安な状態の通院が続くのでした。

 

やっと胎嚢を確認!でも・・・

翌週も内診を受けましたが、胎嚢が確認できず・・・。

先生には「5人に1人は初期流産」という確率の話をされました。

 

そうは言われても、気持ちとして割り切れるものではありません。

 

ですが、雑誌やネットでみる情報と、自分の妊娠週数は

とっくに胎嚢が確認でき、心拍も確認できているはずの週数でした。

 

自分の家に内診の機械が欲しい!・・・なんて、真剣に思っていました^^;

 

不安な気持ちを抱えたまま、さらに翌週内診を受けました。

その時、やっと胎嚢を確認することができました。

 

・・・できたのですが・・・今度は心拍が確認できないと言うのです。

 

「また1週間後に来てください。」

先生としても、そう言うしかなかったのだと思いますが、

この1週間が当時の”わたし”には、ともかく長い時間でした。

 

毎日診察して赤ちゃんの様子を診てもらいたかったです><。

 

突然の出血

赤ちゃんの心拍が確認できず、落ち着かない気持ちで過ごしていたある日、

自宅で出血を確認しました。

 

なんか、小さい血液の塊もある・・・。

”もうダメかも・・・”そんな最悪なイメージが頭をよぎりました。

 

慌てて病院に連絡をして、診察してもらうことになりました。

 

幸いにも平日午前中だったので、すぐに診てもらうことができました。

そして内診した結果、赤ちゃんの袋には問題ないとのこと。

 

出血の原因は、子宮入口にある大きなポリープということでした。

 

「出産のときに同時に取れてしまうこともあるけど、これだけ大きいから

 今の段階で切除してしまいましょう。」

 

そのポリープを切除したからといって赤ちゃんには問題無い

とのことでしたので、その場ですぐに切除してもらいました。

 

内診を終えて説明を受けた際に、切除したポリープを見せてもらい

ましたが、フィルムケースの半分くらいはある大きさでした。

 

心拍確認できて、週数訂正

そうしてポリープ切除した翌週の始め、再度心拍確認のために受診

しました。

 

そこでやっと赤ちゃんの心拍を確認することができました!

妊娠週数を3週間ほど訂正されました。

 

先生からも、母子手帳を貰ってくるようにと言ってもらい、

これでやっと普通の妊婦生活が送れる!・・・と思ったものです。

 

妊娠5ヶ月・思い掛けない入院生活の始まり

ポリープ切除・心拍を確認した後は、出血やつわりといったトラブルも無く、

無事に安定期の妊娠5か月に突入しました。

 

”安定期になったら、何しよう~♪”

軽い運動もしたいし、主人と2人でなるべくおでかけもしたいと

思っていました。

 

「即入院しましょう」

5ヶ月に入って最初の検診で、先生からまさかの入院勧告でした。

 

内診の結果、子宮頚管が短くなっていて、流産の可能性があるというのです。

 

当時、お腹が張ったり出血があったりという、自覚症状はまったくありませんでした。

そのために、突然の入院にただ戸惑うばかりです。

 

更にはその後、妊娠9か月の生産期に入るまで入退院を繰り返すことになるなんて、

まったく想像していませんでした。

 

元気な入院生活

入院生活は、ともかく暇でした^^;

2日に1回の内診とトイレ以外は、点滴をしたまま動いたらダメだった

ので、主人がお見舞いに来てくれるたびにマンガ本を持ってきてもらいました。

 

自覚症状が無い分不安が増すばかりでしたが、4人部屋で同じように

切迫流産・早産で入院している人達と同室でした。

 

人の入れ替わりもありましたが、同室だった人達数人とは

退院後も定期的に集まったり、年賀状のやり取りをする間柄です^^

 

「もうこんなにゆっくり寝てられることなんてないんだから」

「この点滴(ウテメリン)を打った人は、安産って噂もあるよ~」

そんな気休め程度の雑談も、当時の”わたし”にはありがたいものでした。

 

当時は、最初の2ヶ月がずっと入院してましたが、

その後、2週間入院して子宮頚管が長くなり退院。

妊婦検診で外来受診すると、また子宮頚管が短いからと言われ、入院。

 

この2週間ごとの入退院のサイクルを続けていました。

退院時の間も、自宅ではずっとパジャマで寝たきり生活を送っていたのですが

その努力はなかなか報われませんでした^^;

 

生産期間近でやっと退院

もうすぐ妊娠10ヶ月という、もういつ産まれてきても良いという

生産期間近になって、ようやく出産まで退院OKのお許しがでました。

 

この頃は、遠出はしませんでしたが、主人とカフェに行ったり

赤ちゃん用品を買出しに行ったりと、短い期間ですが”わたし”が思い

描いていたような妊娠ライフを送ることができました。

 

そして、出産予定日に検診を受けました。

最後の妊婦検診になるかも?!・・・と思い、念の為、出産入院グッズを

車に積んで、自分1人で病院に向かいました。

 

ですが、陣痛が来ているわけでも無かったので、「まだだろうなぁ~♪」

なんてのん気に構えていました。

・・・本当にのん気でした^^;・・・

 

出産前の最後のトラブル

モニターをつけて赤ちゃんの心臓の音を聞いて、その後に先生の診察を受けました。

 

「赤ちゃんの心臓が弱くなってるね」

”えっ?!”っと、固まってしまいました。

 

固まっている間に「このまま入院して、出産しましょう」という説明を、

車に積んである荷物を取りに行くことすら禁止されました。

 

もしかしたら、こども病院へ搬送されるかもしれないことも説明を

受けました。

 

「ちょっと痛いけど、我慢してね~」

内診を受けて、先生が子宮を刺激しました。

なんでも、子宮と胎盤を剥がすらしいんですが、コレ、激痛でした><

 

病室に通され、主人の携帯にも連絡をして、そうして夜を迎えました。

この時は「赤ちゃん、どうか無事でいて」と願うばかりでした。

 

夜中の1時54分、無事出産

夕飯を食べていた夕方6時頃、お腹に鈍痛のような鈍い痛みを感じましたが

我慢できないわけではありませんでした。

 

そんな本格的な陣痛を感じる前でしたが、就寝時間になる前にということで

夜9時頃に陣痛室に移動しました。

 

陣痛を感じ始めたのは陣痛室に移った直後、夜10時過ぎには本格的な陣痛に

なりました。

 

「赤ちゃんが下りやすくなるから、トイレ行く?」

助産師さんにアドバイスされましたが、トイレで座ったら出てこれる気が

しなかったので断った夜11時半過ぎ、分娩室へ移動しました。

 

結果として分娩室に入ってから約2時間という、初妊婦としては安産と言える

出産でした。

この時は”あのウテメリン点滴のおかげかも!”なんて思いながら、妊娠中の

全ての出来事に感謝しました。

 

ともかくトラブル続きだった、長男妊娠ライフ

「終わり良ければ全て良し」とは、まさにこのこと、と言わざる負えない

”わたし”の長男妊娠ライフでした。

 

妊娠が分かった時から出産直前まで、本当にトラブル続きでしたが

結果として、元気な赤ちゃんが産まれました。

 

その赤ちゃんも、いまや14歳。

ほとんど病気せず(ケガは多い)、運動大好きな元気な男の子に育っています。

 

今となっては笑い話ですが、当時は本当に色々な気持ちが交差した、

”わたし”にとっても初めての妊娠・出産だったのでした。