「3人、産みました。」

3人目は超高齢出産、44歳で産みました。

超高齢出産~今までと勝手が違った、末娘妊娠編~

3人目となる娘を妊娠したのが43歳。

1人目の妊娠・出産から10年が経っていました。

 

3人目と言えども、40代半ばの妊娠・出産に”わたし”も不安が無かった

わけではありません。

 

その当時の悩みや不安だった点については、

別記事(超高齢出産~43歳で妊娠発覚・まっさきに頭に浮かんだのは~ - 「3人、産みました。」)に記載させて頂いています。

 

今回は、3人目を妊娠・出産までの経緯を記載させて頂きたいと思います。

 

3人目にして初体験

3人目を妊娠して、初めて体験したことがありました。

それは”つわり”です。

 

上の2人を妊娠したときには、つわりとは無縁でした。

「あえて言うなら、食べつわりかなぁ~?」という程度でした。

 

初体験のつわりは、点滴・入院が必要というほどではありません

でしたが、ともかく1日中横になって過ごしました。

 

上の子達のお世話があるので、なんとか食事の準備・掃除・洗濯

の家事はこなしていましたが、自分は食事を取らず、やること

やったら、常にソファに横になって過ごしていました。

 

当時の笑い話

お腹の子の性別が分かった、妊娠6ヶ月頃。

ママ友に「3人目にして初めてつわりを体験して~・・・」なんて

話をしていました。

 

そうしたらママ友は

「私も!上の子(女の子)の時にはなんとも無かったんだけど

 下の子(男の子)がお腹にいた時には、つわりがひどくて。

 

 まだ性別が分かる前だったんだけどね、そうしたら主人が

 ”お腹の子が異性の時は、つわりになりやすいらしいよ”って

 言ってたの。

 

 そうしたら、本当に男の子で。

 だから”わたし”さんも!!」

 

「うんっ・・・と、”わたし”。今回は女の子なんだぁ~^^;」

 

ママ友は「あ、あれ?!(汗)」と焦っていましたが^^

たしかに”わたし”、中身はかなり男らしいので、あながち間違っては

いないかもしれません(笑)

 

そんな会話も、今となってはネタとして使える笑い話です^^

 

妊娠中期から、妊娠糖尿病に

妊娠6か月を過ぎたあたりから、検診時の尿検査で尿糖値が

かなり高くなってしまいました。

 

当時、総合病院の産婦人科に掛かっていたので、同じ病院内の

糖尿病科で精密検査を受けることになりました。

 

前の晩21時以降から飲食禁止で、翌日は朝から何回も採血を行います。

2時間置きの採血を数回行うので、ほぼ丸1日掛かりました。

 

その結果、妊娠糖尿病と診断され、食前にインスリン注射を打つこと

になりました。

 

実は20代の時から糖尿病の予兆があった

20代、当時は会社員として働いていました。

 

1年に1回行われる、会社の健康診断。

実はここで尿糖値が引っ掛かり、精密検査を受けたことがあったのです。

 

しかも引っ掛かるのは午後一番に検診を行った年のみ。

当時、健康診断は午前中と午後に分かれて行われ、毎年午前・午後で

交互に受診していました。

 

そうして、”わたし”は毎回午後に検診を受けた年にだけ、尿検査で

引っ掛かっていました。

 

ですので、「要観察」と記されていて、翌年には問題無かったので

最初の数年は特に気に止めてなかったのです。

 

3~4回「要観察」となった時に初めて

”あれ?午後の検診の時だけ要観察になるなぁ”

と気付いたのでした。

 

20代も半ばを過ぎたので、30歳になる前にしっかり検査を受けてみよう

と思い、病院で詳しい検査を受けることにしました。

 

検査内容は、妊娠糖尿病を診断した時と同じ、2時間置きの採血でした。

 

その結果、食後にグンっと血糖値が上がる、糖尿病予備軍であることが

分かったのです。

これは遺伝が関係しているらしく、当時の先生にも「体質」と

言われました。

 

当時の私は平均体重以下でしたので、先生からも「急激に太らないこと・

なるべく今の体重を維持するようにすれば大丈夫」と言われ、その時は

終わりました。

 
実は次男の時にも危なかった

実は、次男の時にも「検査入院」として、1日だけ血糖値測定のために

入院したことがあったのでした。

 

長男の時はギリギリセーフでした。

次男の時は、妊娠9か月目で血糖値が上がってしまい、検査入院をすすめ

られました。

 

検査の結果、食生活を気を付けることという指導をしてもらい、

出産後の検査で異常無しだったため、事無きを得ました。

 

ですが、さすがに年齢による体の衰えなのか、3人目妊娠の時には

発症してしまい、この時も入院を強く勧められました。

 

ですが、それは治療というよりも、あくまでどの様な血糖値の上がり

方なのかを測定するためということだったので、自分で血糖値を測定

して観察すること・インスリン注射を忘れずに打つこととして、入院は

お断りしました。

 

お腹の子供に何かあったらどうするんだ・・・と言われそうですが、

お腹の子供も、上にいる2人の子供達も、私には同じように大切

です。

 

比べることなんかできないので、それなら”わたし”ができる努力を

しようと思った上での行動でした。

 

以前よりは管理しやすくなったインスリン注射

3人目妊娠当時は2015年です。

当時の糖尿病科の先生曰く、お薬も随分進歩して、以前は食事の数時間前に

打たなくてはいけなかった注射も、食前に皮下注射すれば良いものになって

管理が楽になったということでした。

 

確かに、特に不便を感じることはありませんでした。

たまに外食する際に、トイレなどで隠れて注射を打たなくてはいけない

という面倒はありましたが、それも数十秒で済むことですし、面倒と

思うことはありませんでした。

 

そしてグレードアップ(?)して、妊娠中毒症に・・・

インスリン注射を打っていましたが、それ以外には特に問題の無い

妊娠ライフ。

 

何より、お腹の赤ちゃんはすこぶる元気でした。

 

そうして迎えた、出産予定日1週間前。

妊婦検診で測る血圧が130を超えてしまいました・・・。

 

いままでは、もし血圧が高めでも2~3分休んで息を整えれば

(私が行っていた病院の妊婦検診は、検診前に自分で血圧を測ります)

ちゃんと正常値に下がっていました。

 

ですが、その日は何度測り直しても上の血圧が130以下になることは

ありませんでした。

 

「血圧も上がってきて、妊娠糖尿病でもあります。

 次の検診まで陣痛が来なかったら、誘発分娩で出産しましょう。」

 

先生からこの様に言われ、次の検診の時に誘発分娩を行う日を決めようと

言われました。

 

「先生、それなら待つ理由も無いので。一番早い日はなん日に入れられますか?」

”わたし”はそう言って、その場で誘発分娩の日程を決めました。

 

参加の先生はハッキリとは口に出して言いませんでしたが、

高齢出産で妊娠中毒症の妊婦はリスクが高く、なるべく人員が確保

できる平日日中に出産に挑みたかったという意図がありました。

(これは、糖尿病科の先生にそれとなく言われていました。)

 

”わたし”も、無事に赤ちゃんが産まれてくることが第一だったので、

他の拘りは一切捨てて、ともかく赤ちゃんが無事に産まれてくれる

ための最善を尽くそうと思いました。

 

そして誘発分娩のための入院予約は、出産予定日の翌日

になりました。

 

そうは言っても予定通りにいかないのが、出産

出産予定日に検診を行いました。

子宮口もまだ開いていないということで、翌日、入院の準備を持って

再院しました。

 

自分で車を運転し、入院の荷物も自分で運んでの入院です。

平日日中だったため、主人は仕事、上の子供達は学校に行っていました。

 

15時、病棟に着き、助産師さんや看護師さん達に挨拶をして

病室に案内してもらいました。

 

その後、すぐに明日の誘発分娩に向けたの準備を行うことになりました。

その準備とは、子宮口を広げるための準備でした。

 

「ラミナリア」という、海綿体の棒を子宮入り口に入れます。

ラミナリアは水分を含んで膨らみ、子宮口を広げます。

 

これ、結構な本数を入れました^^;

私は10本だったと思います。

 

「これ(ラミナリア)を入れて、陣痛つく人もいるからね~」

なんて、先生の軽い世間話も挟みながら、事前処理を終えました。

 

誘発剤の点滴を行うのは、翌日の9時からということで、今日は

この処理をしただけで、夕飯を食べて寝ることになりました。

 

そして、出産!

夕飯も食べ終わった19時頃。

ベッドで横になっていたら「パン!」という音とともに、

下半身が生暖かい感触に包まれました。

 

破水したのです!

実は”わたし”、破水したと言う感覚を実感したのも、今回が最初でした^^;

 

上の2人の時は、いつ破水したのか全く記憶にありません。

きっと陣痛中か分娩台に上ってからだったのでしょう。

 

すぐにナースコールをしました。

「破水したので、このまま誘発剤使って出産になりますか?」

そう助産師さんに聞きましたが、予定通り明日の朝からうことでした。

 

”そっかぁ~”なんて思いながら、キレイにしてもらったベッドで横になって

いると、お腹に定期的に痛みが訪れてきました。

 

20時、そのお腹の傷みはすでに3分間隔でした。

ナースコールをすると同時に、主人にも「産まれそう」とメールを送りました。

 

助産師さんが来た時には、すでに子宮口は8cm強。

すぐに分娩室に移動し、出産に挑みました。

 

分娩室に入った時には、万が一に備えて血圧測定機に酸素ボンベ、

そして点滴(何の点滴かは分かっていません^^;)を付けられ

ました。

 

たぶん、血糖値も測られていたと思います。

 

ですが、血圧が規定値以上に上がることも、血糖値が低くなり過ぎる

ことも無く、21時59分、なんと誘発剤を使わず無事に出産しました。

 

連絡した主人も何とか間に合い、”わたし”もともかく何も問題なく出産する

ことができ、とてもホッとしたことを覚えています。

 

しばらく保育器に入った娘

”わたし”が妊娠糖尿病だったことが原因で、出産後、子供もしばらく保育器に

入って経過観察ということになりました。

 

その後、先生からも「異常なし」という結果を貰い、母子同時に退院することが

できましたが、保育器の中で点滴を受けている娘を見るのはいたたまれなかったです。

 

また、上の子供達に初対面した時も、保育器越しだったので

ちょっと寂しく感じてしまいました。

 

今も元気にすくすく育つ娘ですが、”わたし”と同じように糖尿病予備軍なのでは

ないか・・・と、将来的に心配は常にしています。

 

以上が、3人目の娘を出産した時のお話です。

だいぶん話を簡略化していますが、ともかく、今も娘はすごく元気です。

 

トラブルに見舞われても、この子はたくましく育っていってくれるので

はないか・・・なんて、期待しいます^^