「3人、産みました。」

3人目は超高齢出産、44歳で産みました。

高齢出産~基礎知識~

高齢出産について、自分の体験談をふまえ

こちらのブログで色々書いていってますが。

 

自分でも、あらためて整理して

高齢出産について、情報を見直していたり

します。

 

そんな”わたし”の認識とともに

高齢出産の基礎知識となる点を

まとめていきたいと思います。

 

高齢出産って何歳から?

高齢出産とは、35歳以上の出産のこと

指します。

これは日本産婦人科学会が定義しており、

1991年ごろからになります。

 

以前は、30歳以上の初産婦が「高齢出産」

と言われていました。

 

ですが、30歳以上の初産婦が増えて

きたこと。

 

WHOの定義なども参考に、

現状に近い、35歳以上の出産が

「高齢出産」と呼ばれるようになり

ました。

 
超高齢出産は何歳?

ちなみに、超高齢出産ですが

これは50歳以上の出産のことを

指すそうです。

 

50歳以上というと、多くの女性が

閉経しています。

 

すでに自然妊娠の可能性自体が

極めて低くなっている年齢です。

 

中には、以前に採取して冷凍保存

した卵子によって妊娠・出産と

なったケースもあります。

 

参考までに・・・ですが

現在報じられている、世界の

出産最高年齢は72歳(インド人の方)

とのことです。

 

日本では60歳が最高で、卵子提供

による妊娠・出産とのことでした。

 

”わたし”のk高齢出産にまつわる笑い話

”わたし”が3人目を出産したのは44歳のとき。

 

そして、3人目は女の子でした。

 

上の2人はどちらも男の子。

 

次男は、ともかく自分よりも

下のきょうだいが欲しかったので

大喜びでした。

 

ですが、長男は3人目も男の子が良いと

言っていまして。

 

女の子が生まれたときには

「もう1人、産もう!」と

お願いされました^^;

 

”わたし”「いやいや、待って。母ちゃん

       さすがに、もう産めないわ。」

 

長男「大丈夫!ギネスでは日本の記録は

   60歳だから!!」

 

”わたし”「母ちゃん、ギネス狙う気ありません!!」

 

無邪気って恐ろしい(笑)

 

そんなセリフを言った長男も、今やすでに

中学生(2019年現在)。

そんなことを言ったのも、今や笑い話です^^

 

高齢出産のリスクについて

続いては、高齢出産のリスクについて

まとめていきたいと思います。

 

考えられるリスクとして

「母体へのリスク」

「胎児(子ども)へのリスク」

があります。

 

それぞれに分けて、まとめていきます。

 

母体へのリスク

母体側のリスクとして、一番問題と

なるのが“妊産婦死亡率の高さ”です。

 

 

40歳以上の高齢による分娩は

20~24歳の分娩と比べて

死亡率が20倍以上に跳ね上がる・・・

という報告があります。

 

そして、さらにリスクとして

あげられるのが妊娠時の

妊娠中毒症などのリスク

発症しやすいという点です。

 

年齢が上がると、どうしても

体の基礎代謝や免疫なども落ち、

妊娠という大きな体の変化に

ついていけなくなってしまいます。

 

そのため、高血圧・妊娠糖尿病

などの問題が出てきてしまい

妊娠中毒症として診断されて

しまいます。

 

胎児(子ども)へのリスク

続いては、胎児(子ども)への

リスクです。

 

まずは箇条書きにしてご紹介します。

 

  • 流産・早産・死産の可能性が高くなる
  • ダウン症などの染色体異常発生の可能性も高くなる

 

流産・早産のはっきりとした原因などは人によっても

異なりますので分かりませんが、”わたし”が当時

先生から受けた説明としては

 

「女性の卵子は、生まれたときにすでに体の中に持って

 いる。

 そのため、母親の年齢がが高いということは、卵子

 それだけ年月が経っているということ。

 

 年月の経った卵子は、どうしても弱くなってしまい、

 それが原因として流産の可能性が増してしまう。」

 

 

そしてダウン症などの染色体異常の可能性です。

これは、”わたし”も3人目妊娠時は、何度もネット検索を

していました。

 

当時の目に止まって覚えている内容は

染色体異常の確率の高さでした。

 

3人目を出産する時は44歳。

44歳での先天性染色体異常発生確率は50分の1

いう内容でした。

 

ちなみに、次男を出産した時は34歳になる年でした。 

34歳の先天性染色体異常発生確率は500分の1。

 

 

500分の1の確率と

50分の1の確率。

 

その具体的な数字を見たときに

愕然とした記憶が

今も残っています。

 

 

じつは、”わたし”が今も抱えている心配ごと

高齢出産による悩み、

流産・早産、染色体異常など。

 

高齢出産に関わらず、妊婦さんなら

ともかく贅沢は言わないから

元気に産まれてきてほしい・・・

そう願うことでしょう。

 

幸いにも、”わたし”の子供達は3人とも

健康に産まれてきてくれました。

 

ですが、3人目に関しては

いまだに心配していること

があります。

 

それは、”わたし”が発症した

妊娠糖尿病に関することです。

 

妊娠糖尿病と診断されたとき

先生から説明されたのが

 

「出産のときに胎児が急激な低血糖

 なる可能性がある。

 

 そうすると、小児糖尿病の発症する

 ことも考えられる」

 

細かい言葉は忘れてしまいましたが、

だいたい上記のようなことを説明されました。

 

お腹の赤ちゃんまで糖尿病になるかも

しれないということなのです。

 

そして、産んだ直後は保育器に

入り、経過観察となりました。

 

その当時は「異常なし」と診断

され、現在も何も問題無く過ごして

いる末娘ですが、

 

”わたし”自身が、生まれつきの糖尿病

になりやすい体質であること。

 

きっと娘も同じような体質を受け継ぎ

さらに、可能性も高いのだろう・・・と

考えています。

 

現在は表立った症状が出ているわけでは

ありませんが、娘には成長した後にも

ちゃんと伝えておかなければ・・・

 

特に、妊娠・出産などの体の変化が

大きいときには注意した方が良いと

いうことを、伝えておかなければ・・・

 

そう、思っています。

 

 

 

超高齢出産~3人目妊娠が分かったときの周りの反応~

”わたし”が3人目を妊娠したのは、43歳の秋でした。

 

3人目とは言え、やはり妊娠初期の段階は

心配でした。

 

安定期の妊娠5ヶ月に入るまで、

ママ友や周囲の人達には妊娠した

ことを黙っていました。

 

実は長男と次男にも、妊娠したことを

黙っていました。

 

というのも、当時の2人はまだ小学校低学年。

「ナイショだよ」と言ったところで

思わず口に出しちゃうお年頃です^^;

 

また、余計な心配をかけるとも思ったので

2人にも黙っていました。

 

ですが、なんとなく”変だな”と思っていたようです。

 

3人目で初のつわりを体験した”わたし”は

妊娠初期のころ、昼間でもソファに横になって

いることが多かったのでした。

 

そんな体調が悪そうな”わたし”を見て

心配とともに”何か変だ”と、感づいていたようです。

 

 

妊娠5ヶ月、周囲に妊娠の事実を公表

妊娠してお腹が少しふっくらしてきても

ちょうど季節が冬ということもあり、

ダウンやコートを着たり、厚着だったので

周囲から気付かれることはありませんでした。

 

ですが、妊娠5ヶ月になったとき

あえて自分から周りに公表しました。

 

「気付かれないなら、あえて自分から公表

 しなくても良いのでは?」

そう思われる方も多いでしょう。

 

”わたし”もできればそうしたかったのですが

そうも言っていられない事情がありました。

 

それは、長男と次男が通っている習い事に関係

していました。

 
次男の学年で事務長をやる予定だった

当時、長男と次男はスポーツ少年団

所属していました。

 

長男の学年は人数がさほど多くなかったため

年度ごとに話し合って、役員の選出をして

いました。

 

ですが、次男の学年は人数も多く

スポーツ少年団に入団したときに

将来的に、おおよその役員割当を

決めていました。

 

”わたし”は、第3子を出産する年に

事務長を引き受ける予定になっていました。

 

事務長となった場合、防具の運搬や

下の学年をまとめてお世話すること

になります。

 

また、合宿や遠征といったイベントの

手続も行います。

 

第3子妊娠前に決まっていた、この役割。

特に依存は無かったのです、赤ちゃん連れで

この役割を担うことで、逆に団員のみんな

に迷惑が掛かるのではないか?・・・ということが

気掛かりでした。

 

そのために、妊娠していることを公表し

「それでも事務長をやっても良いか?

 必要なときには手を貸してください」

という、相談をしたかったのです。

 

そのため、公表することにしました。

 
そして、公表した結果・・・

次男の学年の保護者のみなさんに集まって

いただき、妊娠していることを告げました。

 

そうして

「できることなら、事務長はこのまま引き受け

 させてもらいたい。

 たぶん、1歳過ぎたころの方が、手が掛かって

 仕事はしにくくなる。

 そして、さらに翌年になると長男の学年で役員

 を受けることになると思う。

 

 それなら、予定通り事務長を受けさせてもらいたい

 けれど、もしかしたらみなさんに協力をお願いする

 ことがあるかもしれない。」

このようなことを、お話しました。

 

てっきり”では、協力するので事務長お願いします”って

言われると思っていたんです。

だって、誰も事務長やりたがっていなかったんで^^;

 

ですが、そうすると以外にも2組のお家が事務長を

変わると申し出てくれました。

 

赤ちゃん連れで、そこまで頑張る必要は無いと

言ってくれ、申し出てくれたうちの1組のお家のパパ

が、事務長を引き受けてくれました。

 

なんともありがたく、そして結果的に、やはり防具

運搬が重労働で、赤ちゃん連れではとても大変だった

ろうと、非常に助かったのでした。

 

翌日から広まる噂

スポーツ少年団の保護者のみなさんと話し合いをした

数日後、スーパーに買い物へいきました。

 

そしたら、知り合いのママさんにお会いして。

開口一番「妊娠されたんですって?おめでとうございます!」

と言われました^^;

 

そのママさんとは、長男・次男と子供の学年もかぶって

はおらず、普段もお話することはありません。

本当に、顔見知りという程度のお付き合いでした。

 

そのママさんのお子さんは幼稚園児。

なんでも聞くところによると、幼稚園ですでに噂が

広まっているということでした。

 

スポーツ少年団で、次男の学年の保護者の中に

兄弟で幼稚園児を抱えているお宅がいましたので

どこから噂が広まったのかは、なんとなく想像は

できましたが。

 

まさか、すでに卒園している幼稚園で自分の話

が出ているとは思いもせず。

ママ友ネットワークの怖さを垣間見た気がしたのでした^^;

 

そして噂は、出産時まで続く

そのスーパーでの1件以来、スーパーや公園、または

長男・次男の学校の授業参観。

自分の生活範囲内で知り合い会えば、

「妊娠したんだって~」と言われる日々でした。

 

なかには「みんなに勇気を与えたよ!」という

賛美の言葉を掛けてもらったりもしました。

 

”わたし”自身がネガティブな性格ではありませんが

それでも、ちょっと珍獣的扱いを受けているような

気分でした^^

 

そんな日々にも慣れ、そして出産。

 

出産後、SNSに出産報告をアップした”わたし”

SNSは知り合いのも公開にしていたので、写真もアップ

しました。

 

そこに、数年顔を会わせていなかったママ友から

「妊娠したって、昨日聞いたところだったのに~。早い!」

というコメントが(笑)

 

いつまでも噂が広まっていたんだなぁと、関心しました^^

 

 

みんな悪気は無いけど、珍しいものを見たって視線

やはり、長男・次男のときと違い、かなり物珍しそうに

見られている感じは拭えませんでした。

 

当時住んでいたところが狭い町だったということもあり、

かなり噂も人伝に伝わっていたようです。

 

嫌な気持ちにまではなりませんでした。

というのも、本当に親しい人や信頼している人達

は、そういう反応を一切しなかったからです。

 

自分の信頼している人達は、普段と変わらない態度

で接してくれました。

そして妊娠・出産も、長男と次男の時と同じように

祝福してくれました。

 

”わたし”には、この人達がいてくれるから大丈夫・・・と

思えたのです。

 

もしかしたら、40代以上で妊娠した方達の

中には、同じように好奇の目で見られ、

気持ち的に負担に感じている方もいるかも

しれません。

 

ですが、大丈夫です。

そういう人達は、本当の味方でも無ければ

敵にすらならないのです。

 

あなたは、あなたの信じる人達とお腹の

赤ちゃんを大事にしてあげてくださいね。

『超高齢出産』という表現について

※※※※※『超高齢出産』という表現について※※※※※※

 

超高齢出産の定義を調べてみると、

wikipediaでは”50歳以上の出産”

その他のサイトでは”45歳以上の出産”

と記されていました。

 

 

”わたし”は第3子を43歳で妊娠、44歳で出産

したので上記の条件には当てはまりませんが

 

第1子・第2子のときと比べても

かなり高齢で出産した・・・という

区別のために、今後も”わたし”の3人目の

妊娠・出産に関しては『超高齢出産』

という表現を使用させていただきます。

 

どうぞご了承ください。

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

妊娠時の悩み~浮腫(むくみ)~

妊婦さんの悩みの1っに浮腫(むくみ)があります。

 

妊娠中期以降からその症状が出る人が多く、

後期になると多くの妊婦さんが経験する悩みです。

 

実は”わたし”も、この浮腫(むくみ)に悩んだ1人です。

 

今回は、”わたし”の経験談とともに浮腫(むくみ)の改善方法

についても、ご紹介していきたいと思います。

 

”わたし”の浮腫(むくみ)体験談

”わたし”も浮腫(むくみ)に悩まされた妊婦の1人ですが

実は悩んだのは3人目の末娘妊娠のときでした。

 

長男・次男の時:症状は出ていたけれども、特に対処なし

長男と次男を妊娠しているときは、浮腫(むくみ)に悩むと

いうことはありませんでした。

 

母子手帳には、浮腫(むくみ)は+(プラス)と記されて

いましたが^^;

 

浮腫(むくみ)がひどくて眠れないとか

靴が入らないなどといった困ったことがある

わけでもなく。

 

検診のときの指導も「塩分は控えめに」と言われる

くらいの、簡単な注意事項を言われるだけでした。

 

急激に体重が増えなかったという点も

関係していたのかもしれません。

 

3人目の娘妊娠時・本当に苦しんだ浮腫(むくみ)

3人目となる娘を妊娠していたときも、最初は特に

浮腫(むくみ)を感じることはありませんでした。

 

ですが、妊娠7ヶ月も後半に差し掛かったころには

1日の終わりには、あきらかに足がむくんでいるのが

見た目からも分かりました。

 

妊娠8ヶ月に入ると、とうとう象の足のようにむくみ

自分の靴がどれも履けなくなってしました。

 

いままで使っていたサンダルすら履けなくなり、

急きょ、メンズサイズのサンダルを購入したのです^^;

 

出産予定日が夏で本当によかったな・・・と思いました。

 

この浮腫(むくみ)は出産後もしばらくは続いて

いました。

退院のころには落ち着きましたが、当時の足は

足首がまったく無く、足の甲まで腫れ上がり

自分でもかなり悲しかったことを覚えています。

 

”わたし”が試した浮腫(むくみ)対処法

長男・次男妊娠時に、浮腫(むくみ)については

あまり困らなかったといっても、検診のときには

+(プラス)として書かれていたので、そのとき

から対処は行っていました。

 

”わたし”が実際に試した対処法について、ご紹介します。

 

検診当日の朝ごはんは「バナナ」

浮腫(むくみ)にはカリウムを多く含む食材を摂取すると

良いと聞いていたので、検診がある日の朝ごはんには

「バナナ」を食べていました。

 

体重増加や便秘予防対策の意味もありました。

 

目安としては、検診の2~3時間前に食べるように

していました。

 

他にも「カリウム」を多く含む食材をいくつか

ご紹介します。

  • サツマイモ
  • じゃがいも
  • すいか
  • 昆布・乾燥わかめ
  • アボカド

 

”わたし”自身は、体重増加をなるべく防ぐために、

炭水化物となる芋類は避けていました。

 

なおかつ、手軽に摂取できるものとして「バナナ」

を好んで食べていました。

 

「すいか」も食べたかったんですが・・・

妊娠時はまだ旬ではなく、お高かったので^^;

 

ですが、バナナ以外にもわかめやアボカドなんか

も良かったかなって、今となっては思います^^

 

夜寝る時には足を高くする

これもむくみ対策としては、おなじみかと思います。

 

寝るときには、クッションなどを使って

足の位置を心臓より高くします。

 

これで翌朝は改善されていました。

妊娠9ヶ月後半からは、この方法もまったく効き目が

無かったですが・・・。

 

でも、気分的にスッキリするので、出産するまで続けた

対処法です。

 

 毛布を丸めて抱いていたりもしたので、

抱き枕を使っても良かったかもしれません^^

 

 

その他のおすすめ浮腫(むくみ)対処法

では、他にもおすすめの浮腫(むくみ)対処方法を

ご紹介します。

 

塩分を控える

この対策は、体重管理も兼ねて自然と行っては

いました。

 

特に浮腫(むくみ)対策として取り入れたわけでは

ありませんでしたので、”わたし”自身は実感している

わけではありませんが。

 

ですが、やはり塩分の摂り過ぎは体に悪いので、

控えるにこしたことはありません。

 

こまめに体を動かす

妊婦さんですから激しい運動はNGですが、

軽いお散歩や腕や足を伸ばしたりという

負担にならない程度の運動は心掛けたいもの

です。

 

こまめに体を動かすことで、血液の循環が良くなり

浮腫(むくみ)予防となります。

 

無理しない範囲で、妊娠中も運動を生活の中に

取り入れるようにしましょう。

 

睡眠をとる

妊娠後期になると、お腹の赤ちゃんの動きも活発に

なりますので、なかなか寝付けなかったりしますよね^^;

 

また、何故か臨月近くになると3時間置きに目が

覚めてしまうと言う妊婦さんも多いもの。

 

体が赤ちゃんを迎える準備(3時間置きの授乳)を

しているのか。

なんとも不思議なものです。

 

ですが、実は睡眠不足も浮腫(むくみ)の原因に

なるのです。

 

夜はちゃんと睡眠をとるように心掛けましょう。

寝付けなかったとしても、スマホなどは見ずに

目を閉じてリラックスした状態を作るように

心掛けましょう。

 

それだけでも体も気持ちも休まることができ

ストレス解消にもなります。

 

少しでも悩みを解消して、出産に挑んでほしいです。

今回は、妊婦さんの悩み「浮腫(むくみ)」について、

”わたし”自身の経験と共に対処法をご紹介しました。

 

浮腫(むくみ)は出産後には治まる場合がほとんどですが

分かっていても、その最中は辛いものです。

 

少しでも悩みは解消して、出産当日を迎えて頂きたいと

思います^^

 

 

 

超高齢出産~今までと勝手が違った、末娘妊娠編~

3人目となる娘を妊娠したのが43歳。

1人目の妊娠・出産から10年が経っていました。

 

3人目と言えども、40代半ばの妊娠・出産に”わたし”も不安が無かった

わけではありません。

 

その当時の悩みや不安だった点については、

別記事(超高齢出産~43歳で妊娠発覚・まっさきに頭に浮かんだのは~ - 「3人、産みました。」)に記載させて頂いています。

 

今回は、3人目を妊娠・出産までの経緯を記載させて頂きたいと思います。

 

3人目にして初体験

3人目を妊娠して、初めて体験したことがありました。

それは”つわり”です。

 

上の2人を妊娠したときには、つわりとは無縁でした。

「あえて言うなら、食べつわりかなぁ~?」という程度でした。

 

初体験のつわりは、点滴・入院が必要というほどではありません

でしたが、ともかく1日中横になって過ごしました。

 

上の子達のお世話があるので、なんとか食事の準備・掃除・洗濯

の家事はこなしていましたが、自分は食事を取らず、やること

やったら、常にソファに横になって過ごしていました。

 

当時の笑い話

お腹の子の性別が分かった、妊娠6ヶ月頃。

ママ友に「3人目にして初めてつわりを体験して~・・・」なんて

話をしていました。

 

そうしたらママ友は

「私も!上の子(女の子)の時にはなんとも無かったんだけど

 下の子(男の子)がお腹にいた時には、つわりがひどくて。

 

 まだ性別が分かる前だったんだけどね、そうしたら主人が

 ”お腹の子が異性の時は、つわりになりやすいらしいよ”って

 言ってたの。

 

 そうしたら、本当に男の子で。

 だから”わたし”さんも!!」

 

「うんっ・・・と、”わたし”。今回は女の子なんだぁ~^^;」

 

ママ友は「あ、あれ?!(汗)」と焦っていましたが^^

たしかに”わたし”、中身はかなり男らしいので、あながち間違っては

いないかもしれません(笑)

 

そんな会話も、今となってはネタとして使える笑い話です^^

 

妊娠中期から、妊娠糖尿病に

妊娠6か月を過ぎたあたりから、検診時の尿検査で尿糖値が

かなり高くなってしまいました。

 

当時、総合病院の産婦人科に掛かっていたので、同じ病院内の

糖尿病科で精密検査を受けることになりました。

 

前の晩21時以降から飲食禁止で、翌日は朝から何回も採血を行います。

2時間置きの採血を数回行うので、ほぼ丸1日掛かりました。

 

その結果、妊娠糖尿病と診断され、食前にインスリン注射を打つこと

になりました。

 

実は20代の時から糖尿病の予兆があった

20代、当時は会社員として働いていました。

 

1年に1回行われる、会社の健康診断。

実はここで尿糖値が引っ掛かり、精密検査を受けたことがあったのです。

 

しかも引っ掛かるのは午後一番に検診を行った年のみ。

当時、健康診断は午前中と午後に分かれて行われ、毎年午前・午後で

交互に受診していました。

 

そうして、”わたし”は毎回午後に検診を受けた年にだけ、尿検査で

引っ掛かっていました。

 

ですので、「要観察」と記されていて、翌年には問題無かったので

最初の数年は特に気に止めてなかったのです。

 

3~4回「要観察」となった時に初めて

”あれ?午後の検診の時だけ要観察になるなぁ”

と気付いたのでした。

 

20代も半ばを過ぎたので、30歳になる前にしっかり検査を受けてみよう

と思い、病院で詳しい検査を受けることにしました。

 

検査内容は、妊娠糖尿病を診断した時と同じ、2時間置きの採血でした。

 

その結果、食後にグンっと血糖値が上がる、糖尿病予備軍であることが

分かったのです。

これは遺伝が関係しているらしく、当時の先生にも「体質」と

言われました。

 

当時の私は平均体重以下でしたので、先生からも「急激に太らないこと・

なるべく今の体重を維持するようにすれば大丈夫」と言われ、その時は

終わりました。

 
実は次男の時にも危なかった

実は、次男の時にも「検査入院」として、1日だけ血糖値測定のために

入院したことがあったのでした。

 

長男の時はギリギリセーフでした。

次男の時は、妊娠9か月目で血糖値が上がってしまい、検査入院をすすめ

られました。

 

検査の結果、食生活を気を付けることという指導をしてもらい、

出産後の検査で異常無しだったため、事無きを得ました。

 

ですが、さすがに年齢による体の衰えなのか、3人目妊娠の時には

発症してしまい、この時も入院を強く勧められました。

 

ですが、それは治療というよりも、あくまでどの様な血糖値の上がり

方なのかを測定するためということだったので、自分で血糖値を測定

して観察すること・インスリン注射を忘れずに打つこととして、入院は

お断りしました。

 

お腹の子供に何かあったらどうするんだ・・・と言われそうですが、

お腹の子供も、上にいる2人の子供達も、私には同じように大切

です。

 

比べることなんかできないので、それなら”わたし”ができる努力を

しようと思った上での行動でした。

 

以前よりは管理しやすくなったインスリン注射

3人目妊娠当時は2015年です。

当時の糖尿病科の先生曰く、お薬も随分進歩して、以前は食事の数時間前に

打たなくてはいけなかった注射も、食前に皮下注射すれば良いものになって

管理が楽になったということでした。

 

確かに、特に不便を感じることはありませんでした。

たまに外食する際に、トイレなどで隠れて注射を打たなくてはいけない

という面倒はありましたが、それも数十秒で済むことですし、面倒と

思うことはありませんでした。

 

そしてグレードアップ(?)して、妊娠中毒症に・・・

インスリン注射を打っていましたが、それ以外には特に問題の無い

妊娠ライフ。

 

何より、お腹の赤ちゃんはすこぶる元気でした。

 

そうして迎えた、出産予定日1週間前。

妊婦検診で測る血圧が130を超えてしまいました・・・。

 

いままでは、もし血圧が高めでも2~3分休んで息を整えれば

(私が行っていた病院の妊婦検診は、検診前に自分で血圧を測ります)

ちゃんと正常値に下がっていました。

 

ですが、その日は何度測り直しても上の血圧が130以下になることは

ありませんでした。

 

「血圧も上がってきて、妊娠糖尿病でもあります。

 次の検診まで陣痛が来なかったら、誘発分娩で出産しましょう。」

 

先生からこの様に言われ、次の検診の時に誘発分娩を行う日を決めようと

言われました。

 

「先生、それなら待つ理由も無いので。一番早い日はなん日に入れられますか?」

”わたし”はそう言って、その場で誘発分娩の日程を決めました。

 

参加の先生はハッキリとは口に出して言いませんでしたが、

高齢出産で妊娠中毒症の妊婦はリスクが高く、なるべく人員が確保

できる平日日中に出産に挑みたかったという意図がありました。

(これは、糖尿病科の先生にそれとなく言われていました。)

 

”わたし”も、無事に赤ちゃんが産まれてくることが第一だったので、

他の拘りは一切捨てて、ともかく赤ちゃんが無事に産まれてくれる

ための最善を尽くそうと思いました。

 

そして誘発分娩のための入院予約は、出産予定日の翌日

になりました。

 

そうは言っても予定通りにいかないのが、出産

出産予定日に検診を行いました。

子宮口もまだ開いていないということで、翌日、入院の準備を持って

再院しました。

 

自分で車を運転し、入院の荷物も自分で運んでの入院です。

平日日中だったため、主人は仕事、上の子供達は学校に行っていました。

 

15時、病棟に着き、助産師さんや看護師さん達に挨拶をして

病室に案内してもらいました。

 

その後、すぐに明日の誘発分娩に向けたの準備を行うことになりました。

その準備とは、子宮口を広げるための準備でした。

 

「ラミナリア」という、海綿体の棒を子宮入り口に入れます。

ラミナリアは水分を含んで膨らみ、子宮口を広げます。

 

これ、結構な本数を入れました^^;

私は10本だったと思います。

 

「これ(ラミナリア)を入れて、陣痛つく人もいるからね~」

なんて、先生の軽い世間話も挟みながら、事前処理を終えました。

 

誘発剤の点滴を行うのは、翌日の9時からということで、今日は

この処理をしただけで、夕飯を食べて寝ることになりました。

 

そして、出産!

夕飯も食べ終わった19時頃。

ベッドで横になっていたら「パン!」という音とともに、

下半身が生暖かい感触に包まれました。

 

破水したのです!

実は”わたし”、破水したと言う感覚を実感したのも、今回が最初でした^^;

 

上の2人の時は、いつ破水したのか全く記憶にありません。

きっと陣痛中か分娩台に上ってからだったのでしょう。

 

すぐにナースコールをしました。

「破水したので、このまま誘発剤使って出産になりますか?」

そう助産師さんに聞きましたが、予定通り明日の朝からうことでした。

 

”そっかぁ~”なんて思いながら、キレイにしてもらったベッドで横になって

いると、お腹に定期的に痛みが訪れてきました。

 

20時、そのお腹の傷みはすでに3分間隔でした。

ナースコールをすると同時に、主人にも「産まれそう」とメールを送りました。

 

助産師さんが来た時には、すでに子宮口は8cm強。

すぐに分娩室に移動し、出産に挑みました。

 

分娩室に入った時には、万が一に備えて血圧測定機に酸素ボンベ、

そして点滴(何の点滴かは分かっていません^^;)を付けられ

ました。

 

たぶん、血糖値も測られていたと思います。

 

ですが、血圧が規定値以上に上がることも、血糖値が低くなり過ぎる

ことも無く、21時59分、なんと誘発剤を使わず無事に出産しました。

 

連絡した主人も何とか間に合い、”わたし”もともかく何も問題なく出産する

ことができ、とてもホッとしたことを覚えています。

 

しばらく保育器に入った娘

”わたし”が妊娠糖尿病だったことが原因で、出産後、子供もしばらく保育器に

入って経過観察ということになりました。

 

その後、先生からも「異常なし」という結果を貰い、母子同時に退院することが

できましたが、保育器の中で点滴を受けている娘を見るのはいたたまれなかったです。

 

また、上の子供達に初対面した時も、保育器越しだったので

ちょっと寂しく感じてしまいました。

 

今も元気にすくすく育つ娘ですが、”わたし”と同じように糖尿病予備軍なのでは

ないか・・・と、将来的に心配は常にしています。

 

以上が、3人目の娘を出産した時のお話です。

だいぶん話を簡略化していますが、ともかく、今も娘はすごく元気です。

 

トラブルに見舞われても、この子はたくましく育っていってくれるので

はないか・・・なんて、期待しいます^^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高齢出産~安定した妊娠ライフ・次男妊娠編~

長男が1歳の誕生日を迎えた、約2ヶ月後。

次男を妊娠していることに気が付きました。

 

当時の”わたし”の年齢は35歳。

出産する時は36歳を迎える年になります。

 

約4年間生理と無縁の生活に

長男が1歳の誕生日を迎え、”わたし”の体も徐々に元に

戻ってきていました。

 

1歳を迎えたとき、長男は自分から卒乳していました。

その約1か月後くらいに、生理と思える少量の出血を確認しました。

 

・・・と思ったら、翌月から再度生理が止まってしまい・・・

そう、新たな命がお腹にやってきてくれたのでした。

 

「こんなに早く妊娠するなんて」と驚きは正直ありましたが、

早く2人目が欲しいと思っていたので、願っていた妊娠でした。

 

前回の反省(?)を踏まえ

今回の妊娠が分かった時、すぐに産院を受診することは止めました^^;

 

前回の胎嚢・心拍確認をするまでの長い期間悩んだことを考え、

数週間待ってから受診しました。

 

そして数週間後に訪れた産院。

初診でしっかりと胎嚢・心拍確認することができました。

 

以前の長い期間思い悩んだことがウソのように、母子手帳を貰うまで

本当にすんなりと進みました。

 

順調な妊娠ライフ。頼もしいママ友の存在

当時の長男は1歳。

当然ですが、まだまだ落ち着きが無く、常に抱っこをせがむ年齢です。

 

幸いにもつわりが無かったので、日常生活で困ることはあまりありませんでした。

ただ、体力的にしんどいことが多かったです。

 

まぁ、男の子はともかく落ち着きが無いので><

 

そんな時、すごく頼りになったのがママ友の存在でした。

 

長男を児童館に連れて行った際に、数人のママ友ができました。

 

たまに集まって公園で遊んだり、ちょっと足を延ばして動物園に行ったり。

楽しい関係を続けていました。

 

その中の1人、一番自宅同士が近いママが

「お腹が大きいのに、幼児の相手をするのは大変でしょう」

と言って、毎日のように自宅に招いてくれました。

 

私も甘えて、かなりの頻度でお邪魔していました。

あまりにも行き過ぎて、そのお宅に訪れると

長男が「ただいま~」と言ってしまうほどでした^^;

 

その当時のママ友とは、今も良い関係を続けさせてもらっています。

子供達が成人したら、一緒にゆっくり旅行に行こうと約束しています^^

 

以前の切迫流産・早産の入院経験を気にして。

長男のときの切迫流産・早産は、”わたし”の体質と言われていました。

ですので、次男妊娠のときも同じように切迫流産・早産になることを

心配していました。

 

ただ、今回は以前の時のように、長期入院や寝たきり生活を送れるわけでは

ありません。

なんと言っても長男がいます。

 

長男のお世話があるのに、入院するわけにはいきません。

 

ちょうどその時、病棟がリニューアルされた産院を知りました。

新しくてキレイな病棟に惹かれ、次男のときは長男と別の産院を選びました。

 

「以前は、”わたし”の体質が原因で切迫で長期入院したんです。」

新しい産院で以前の状態を伝え、気になることはドンドン自分から聞くように

しました。

 

ですが、その産院では常に「問題無し」と言われ、ちょっと拍子抜けする

くらいでした。

 

ただ1回だけトラブルがあったと言えば、妊娠8ヶ月の時に

ノロウィルスに感染してしまいました。。。

 

主人に連れられて救急病院に駆けつけましたが、妊婦なので

通常の薬を処方してもらう訳にもいかず。

 

つわりの時にも使う、吐き気止めの点滴を打ってもらうだけで

帰宅しました。

 

帰宅後、点滴が切れてから、再度吐き気と戦いました^^;

実はヘルプで来てくれた、他県に住む実母も感染してしまいダウン。

 

結局、まだフラフラしながら、長男と実母のお世話をすることに

なった”わたし”でした。

あれは辛かったです^^;;

 

予定日1週間前に子宮口2cm

出産予定日の1週間前の検診で、子宮口が2cm開いていると言われました。

 

「経産婦さんだし、今月内には産まれるでしょう。」

出産予定日がその月の下旬でした。

”わたし”自身も、その月内に出産するものだろうと思っていました。

 

ですが、まったく陣痛を感じることなく、予定日を過ぎてしまいました。

 

出産予定日に公園でママ友に驚かれる

その後、予定日の検診でも同じく子宮口は2cmのまま。

検診が終わった後、長男を連れて公園に行きました。

 

「えっ?!子宮口、開いてるんじゃなかったの?!」

公園に着いたら、知り合いのママ友と顔を会わせたとたんに

驚かれました^^;

 

さすがに”わたし”自身も多少焦り、自宅の階段を何度も往復したり

熱心に雑巾がけをしたりしました。

 

1週間以内に陣痛が来なかったら、誘発分娩

予定日の検診から1週間後

「次回1週間後の検診のときに、誘発分娩も予定しておきましょう。」

と先生から言われました。

 

予定日超過2週間となると、やはりお腹の赤ちゃんが育ちすぎてしまいます。

腹を括って挑まないと・・・と思っていました。

 

そうして予定日を超過10日後、朝6時ごろに15分間隔の陣痛を確認しました。

 

当時は結構冷静で、朝起きてまずはシャワーを浴び、主人に病院まで

車で送ってもらいました。

(長男は、手伝いに来てくれた実母にお願いしました。)

 

移動中の車の中で、お世話になったママ友に「ちょっと産んでくる~♪」

なんてメールを送ったのが、午前8時台。

 

午前9時に病院に到着し、午前11時無事に次男を出産しました。

 

 

超安産!でしたが

病院についてから約2時間の超安産でしたが、やはり予定日を10日超過

したことで、少し大きめでした。

”大きめ”と言っても、我が子3人の中で一番大きいと言うだけで、

平均体重範囲です。

 

ですが、頭が見えた時点からがなかなか進まず、何回力んだことか!

ほんの300~400gの違いでこんなに違うものかと思いました。

 

結論・小さく生んで大きく育てるは、本当かも^^;?!

長男の時よりも約300g大きかった次男。

 

長男と比べて「頭が見えましたよ!」からが無性に長かったです。

 

肩が引っ掛かってしまったようですし、長男の時は会陰切開してくれたので

もう少し楽だった記憶がありました。

 

「小さく生んで大きく育てるって、本当かも」と思いました。

 

この時は「”わたし”の妊娠・出産はこれで終わったな」って

達成感でいっぱいでした。

 

・・・まさか8年後に再度経験するとは(汗)・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高齢出産~トラブル続きの長男妊娠編~

長男を妊娠していたとき、”わたし”は妊娠5ヶ月から安静生活を送らなくては

いけなくなりました。

 

そう、流産の可能性があったためです。

 

そして、実はその前からトラブル続きだった、長男の妊娠生活。

 

今回は、その時の経験談を書いていきたいと思います。

 

妊娠兆候・検査薬で陽性反応が出たのに・・・

入籍してから約7ヶ月後、予定日になっても生理が来なかったので

1週間待って、妊娠検査薬を使いました。

 

すぐに陽性サインを確認!

待ちに待った妊娠でした。

 

「明日、病院に行ってくるね^^」

主人と夕飯を食べながら、妊娠報告したことを覚えています。

 

翌朝、早速産婦人科を受信しました。

 

「検査薬で陽性が出たなら、間違いないでしょう。」

先生にそう言われながら、内診を受けることになりました。

 

 

「・・・まだ、赤ちゃんの袋を確認することができませんね」

先生から聞いたのは、思い掛けない言葉でした。

赤ちゃんの袋・胎嚢が確認できないというのです。

 

「まぁ、若干前後することもありますから、また1週間後に診てみましょう。」

そう言われて帰宅することになりましたが、

実はその後、不安な状態の通院が続くのでした。

 

やっと胎嚢を確認!でも・・・

翌週も内診を受けましたが、胎嚢が確認できず・・・。

先生には「5人に1人は初期流産」という確率の話をされました。

 

そうは言われても、気持ちとして割り切れるものではありません。

 

ですが、雑誌やネットでみる情報と、自分の妊娠週数は

とっくに胎嚢が確認でき、心拍も確認できているはずの週数でした。

 

自分の家に内診の機械が欲しい!・・・なんて、真剣に思っていました^^;

 

不安な気持ちを抱えたまま、さらに翌週内診を受けました。

その時、やっと胎嚢を確認することができました。

 

・・・できたのですが・・・今度は心拍が確認できないと言うのです。

 

「また1週間後に来てください。」

先生としても、そう言うしかなかったのだと思いますが、

この1週間が当時の”わたし”には、ともかく長い時間でした。

 

毎日診察して赤ちゃんの様子を診てもらいたかったです><。

 

突然の出血

赤ちゃんの心拍が確認できず、落ち着かない気持ちで過ごしていたある日、

自宅で出血を確認しました。

 

なんか、小さい血液の塊もある・・・。

”もうダメかも・・・”そんな最悪なイメージが頭をよぎりました。

 

慌てて病院に連絡をして、診察してもらうことになりました。

 

幸いにも平日午前中だったので、すぐに診てもらうことができました。

そして内診した結果、赤ちゃんの袋には問題ないとのこと。

 

出血の原因は、子宮入口にある大きなポリープということでした。

 

「出産のときに同時に取れてしまうこともあるけど、これだけ大きいから

 今の段階で切除してしまいましょう。」

 

そのポリープを切除したからといって赤ちゃんには問題無い

とのことでしたので、その場ですぐに切除してもらいました。

 

内診を終えて説明を受けた際に、切除したポリープを見せてもらい

ましたが、フィルムケースの半分くらいはある大きさでした。

 

心拍確認できて、週数訂正

そうしてポリープ切除した翌週の始め、再度心拍確認のために受診

しました。

 

そこでやっと赤ちゃんの心拍を確認することができました!

妊娠週数を3週間ほど訂正されました。

 

先生からも、母子手帳を貰ってくるようにと言ってもらい、

これでやっと普通の妊婦生活が送れる!・・・と思ったものです。

 

妊娠5ヶ月・思い掛けない入院生活の始まり

ポリープ切除・心拍を確認した後は、出血やつわりといったトラブルも無く、

無事に安定期の妊娠5か月に突入しました。

 

”安定期になったら、何しよう~♪”

軽い運動もしたいし、主人と2人でなるべくおでかけもしたいと

思っていました。

 

「即入院しましょう」

5ヶ月に入って最初の検診で、先生からまさかの入院勧告でした。

 

内診の結果、子宮頚管が短くなっていて、流産の可能性があるというのです。

 

当時、お腹が張ったり出血があったりという、自覚症状はまったくありませんでした。

そのために、突然の入院にただ戸惑うばかりです。

 

更にはその後、妊娠9か月の生産期に入るまで入退院を繰り返すことになるなんて、

まったく想像していませんでした。

 

元気な入院生活

入院生活は、ともかく暇でした^^;

2日に1回の内診とトイレ以外は、点滴をしたまま動いたらダメだった

ので、主人がお見舞いに来てくれるたびにマンガ本を持ってきてもらいました。

 

自覚症状が無い分不安が増すばかりでしたが、4人部屋で同じように

切迫流産・早産で入院している人達と同室でした。

 

人の入れ替わりもありましたが、同室だった人達数人とは

退院後も定期的に集まったり、年賀状のやり取りをする間柄です^^

 

「もうこんなにゆっくり寝てられることなんてないんだから」

「この点滴(ウテメリン)を打った人は、安産って噂もあるよ~」

そんな気休め程度の雑談も、当時の”わたし”にはありがたいものでした。

 

当時は、最初の2ヶ月がずっと入院してましたが、

その後、2週間入院して子宮頚管が長くなり退院。

妊婦検診で外来受診すると、また子宮頚管が短いからと言われ、入院。

 

この2週間ごとの入退院のサイクルを続けていました。

退院時の間も、自宅ではずっとパジャマで寝たきり生活を送っていたのですが

その努力はなかなか報われませんでした^^;

 

生産期間近でやっと退院

もうすぐ妊娠10ヶ月という、もういつ産まれてきても良いという

生産期間近になって、ようやく出産まで退院OKのお許しがでました。

 

この頃は、遠出はしませんでしたが、主人とカフェに行ったり

赤ちゃん用品を買出しに行ったりと、短い期間ですが”わたし”が思い

描いていたような妊娠ライフを送ることができました。

 

そして、出産予定日に検診を受けました。

最後の妊婦検診になるかも?!・・・と思い、念の為、出産入院グッズを

車に積んで、自分1人で病院に向かいました。

 

ですが、陣痛が来ているわけでも無かったので、「まだだろうなぁ~♪」

なんてのん気に構えていました。

・・・本当にのん気でした^^;・・・

 

出産前の最後のトラブル

モニターをつけて赤ちゃんの心臓の音を聞いて、その後に先生の診察を受けました。

 

「赤ちゃんの心臓が弱くなってるね」

”えっ?!”っと、固まってしまいました。

 

固まっている間に「このまま入院して、出産しましょう」という説明を、

車に積んである荷物を取りに行くことすら禁止されました。

 

もしかしたら、こども病院へ搬送されるかもしれないことも説明を

受けました。

 

「ちょっと痛いけど、我慢してね~」

内診を受けて、先生が子宮を刺激しました。

なんでも、子宮と胎盤を剥がすらしいんですが、コレ、激痛でした><

 

病室に通され、主人の携帯にも連絡をして、そうして夜を迎えました。

この時は「赤ちゃん、どうか無事でいて」と願うばかりでした。

 

夜中の1時54分、無事出産

夕飯を食べていた夕方6時頃、お腹に鈍痛のような鈍い痛みを感じましたが

我慢できないわけではありませんでした。

 

そんな本格的な陣痛を感じる前でしたが、就寝時間になる前にということで

夜9時頃に陣痛室に移動しました。

 

陣痛を感じ始めたのは陣痛室に移った直後、夜10時過ぎには本格的な陣痛に

なりました。

 

「赤ちゃんが下りやすくなるから、トイレ行く?」

助産師さんにアドバイスされましたが、トイレで座ったら出てこれる気が

しなかったので断った夜11時半過ぎ、分娩室へ移動しました。

 

結果として分娩室に入ってから約2時間という、初妊婦としては安産と言える

出産でした。

この時は”あのウテメリン点滴のおかげかも!”なんて思いながら、妊娠中の

全ての出来事に感謝しました。

 

ともかくトラブル続きだった、長男妊娠ライフ

「終わり良ければ全て良し」とは、まさにこのこと、と言わざる負えない

”わたし”の長男妊娠ライフでした。

 

妊娠が分かった時から出産直前まで、本当にトラブル続きでしたが

結果として、元気な赤ちゃんが産まれました。

 

その赤ちゃんも、いまや14歳。

ほとんど病気せず(ケガは多い)、運動大好きな元気な男の子に育っています。

 

今となっては笑い話ですが、当時は本当に色々な気持ちが交差した、

”わたし”にとっても初めての妊娠・出産だったのでした。